
キリンオレンジエード、アサヒ バヤリース、プラッシーも欠かせないですね。今回はプラッシーを懐かしむん!
お米とオレンジジュースはセットです?!
昭和の人気ジュース『プラッシー』
瓶でオレンジジュースを飲む。
こどもの頃(昭和)はそんな機会が多くありました。
缶で飲むジュースも、もちろんおいしいですが、瓶で飲むとよりおいしく感じるのはなぜなのでしょうかね。
そんな懐かしい時代、プラッシーはほぼ瓶で飲むジュースでした。
昭和当時の瓶のプラッシー イラスト

プラッシーは、すっきり、あっさりした飲み口で、子供から大人まで葉が広く愛されていたオレンジジュースでした。
昭和の人気オレンジジュース プラッシーとは?
プラッシーは、1958年(昭和33年)に武田薬品工業で販売、子会社の武田食品工業の製造されていたみかん飲料で、かつてお米屋さんが当たり前にあった時代に「お米屋さんで買えるジュース」として庶民に愛されていたジュースでした。
オレンジ味がもっとも有名で人気がありましたが、グレープ味、トマト味も販売されていたようです。
プラッシー名前の由来は?
プラッシーという製品名は、今でも覚えやすくて親しみやすいネーミングですが、その名前の由来はなんでしょう?
みかん果汁入飲料の中にビタミンCをプラスしたことから、「プラスC」、「プラッシー」と製品名がつけられたようです。

意外にシンプルだけど、
当時はビタミンCを追加するなど新しい発想だったのでしょうね。
さすが武田薬品!

武田薬品は、ビタミンCを昔から強みとしていたのですね。
C1000ビタミンレモンで有名ですものね。
プラッシーが売れた昭和ならではの販売法とは?
昭和のオレンジジュースと言えば、キリンオレンジエード、アサヒのバヤリースなど名前が出てきますが、もちろんプラッシーもその中に名を連ねる昭和の代表オレンジジュースです。

キリン、アサヒとどちらも飲料メーカーだけど、
そんな中、武田薬品が入っているのはどういうことだろう?
プラッシーは、スーパーマーケットではなく、お米屋さん(米穀店)と自動販売機を中心として販売されていましたが、なぜそこまでヒットしたのでしょうか?
その理由は、かつてお米屋さんが近所に当たり前にあったという時代の特性を武田薬品工業がうまくとらえたためとなります。
なぜお米屋さん?と思いますよね。それは武田薬品が「ビタライス」などの栄養強化のお米販売をしており、お米屋さんとお付き合いがあったところから、お米屋さんでのプラッシーの独自流通ルートが出来上がりました。
現代ではお米はスーパーや量販店で購入することが多いですが、昭和は個人商店のお米屋さん(米穀店)でお米を購入、お米の配達もお願いしていた時代。お米の配達をしているのだから、ついでに瓶の飲料も一緒に自宅まで届けてはどうか?とサービスをプラスしたのがプラッシーの利点となり、多くの家庭でプラッシーが人気となった理由でした。

そういえばかつて酒屋さんも当たり前にあり、お酒以外にもお醤油、料理酒なども自宅まで配達してくれていた時代がありました。
ということでお米屋さんに行くとプラッシーがおいてあり、またテレビCMでも「お届けします プラッシー」とよく告知していたため、当時家計を担っていた主婦の間でのプラッシーの認知率はかなり高く、人気であった理由でもあります。
そんなプラッシーですが、残念ながら2006年(平成18年)4月3日終売となりました。
今ではハウス食品からゼリー飲料としてプラッシーが楽しめるようです。
またいつか飲料のプラッシーが復活する日を願っています。
昭和の人気オレンジジュース プラッシーのご紹介でした。
昭和の懐かしい飲料・ジュース