
任天堂ファミリーコンピューターが発売された当時、今まで見たことが無い夢のようなゲーム機に、毎日が心躍らされました。
夢のようだった家庭用ゲーム機
ファミリーコンピューター
ファミコンが家に来た時の嬉しさは、今でもしっかりと覚えています。
当時わたしは小学生だったのですが、何かにつけファミコンのことで頭が一杯となっておりました(笑)
そのくらいファミコンの登場はインパクトがあるものでした。

任天堂ファミリーコンピューターの登場には驚かされましたね。
今までこんなリッチなゲームが家で出来ることは無かったですものね。
1983年 夢のような任天堂ファミリーコンピューターの登場!
ファミリーコンピューターは、任天堂より1983年7月15日に発売された家庭用ゲーム機。
当時の発売価格は14,800円でした。

ファミリーコンピューターは、略してファミコン。
ファミコンというその愛称は、一気に世に浸透しましたね。
ファミコン登場前にその前身として、同じく任天堂から1980年に発売されたゲーム&ウオッチが大ヒットしました。
任天堂 ゲーム&ウォッチ オクトパスのイラスト画像
ゲーム&ウオッチのヒットを期に、任天堂はその利益を投入して開発したのが家庭用ゲーム機がファミコンだったのでした。

ゲーム&ウォッチの存在が無ければ、ファミコンが世に登場することが無かったかもしれないのね。感慨深いわ~

初めて遊んだファミコン・ソフト
ファミコン世代の人たちならば、初めて遊んでみたゲームソフトが必ずあると思います。
皆さんは、初めて触れたのゲームソフトだったでしょうか?
私は、アイスクライマーがお初のソフトでした。
学校の同級生のおうちで初めてファミコンに触れ、初めて遊んだゲームソフト「アイスクライマー」は、何もかもが衝撃的でした。
アイスクライマーを初めて見た時のインパクトたるや!!
(今まで見たことの無い夢のようなゲームがテレビのモニターに映っていたのでした。)
その場で目が点になり、友人がプレイしているそのテレビモニター画面に食い入るように見ていた記憶があります。
キャラクターのエスキモーを操作して、オットセイやペンギン、氷の障害を避けながら、山の頂上を目指すゲーム。
青い服を着たエスキモーの男の子はポポ、赤い服を着た女の子のエスキモーはナナという名前で、2人同時プレイが可能な当時としては画期的なゲームソフトでした。
友人宅でファミコンとアイスクライマーに触れるやいなや、その日からはファミコンのことで頭が一杯。
頭の中は、ファミコン、ファミコン、アイスクライマー、ファミコン etc…
四六時中ファミコンのことばかりを考え、親に思い切って「ファミコン買って」とたずねてみたのでした。
家にファミコンが来た!
当時ファミコンの本体価格は知らなかったのですが、決してお安いものでは無いことは感づいてはいたため「そんなに簡単に買ってくれないだろうな~」と予想していたのですが、その予想に反し、親からはなんと!「いいよ」の返答がかえってきたのでした。
早速、その週末に親とデパートに買いに行き、レジでファミコンの手提げを受け取った時の嬉しさたるや!
子どもながら、心の中で「いいの?」と親に感謝している自分がいました。
当時ファミコンが入っていた箱が以下のイラストです。
お片付けがあまり得意では無かった私ですが、ファミコンで遊んだ後は、毎回このシルバーの箱の中に丁寧に本体をしまっていた習慣は、懐かしい思い出です。

ファミコンのシルバーの箱、懐かしいです。
この箱は、まさに時代の幕開け。
世界中がこの家庭用ゲーム機に夢中になったのですものね。
初めて買ってもらったファミコン・ソフト
わたしがファミコン本体とセットで買ってもらったゲームソフトは、けっきょく南極大冒険というコナミのソフトでした。
なんでこのソフト?と問われたら、完全にジャケ買いです(笑)
けっきょく南極大冒険が、どんなゲームかは全く知りませんでしたが、ペンギンの絵が可愛くて(笑)
制限時間内にキャラクターのペンギンを、アザラシやクレバスの障害を避けながら、南極大陸にある各国の基地にゴールさせるゲーム。
人によってそれぞれファミコンとの思い出はあることでしょうね。
任天堂ファミリーコンピュータの思い出ご紹介でした。
昭和な懐かしいシリーズ